とあるお兄さんの雑記

基本的に技術系の内容を書きますが、何を書くかは私の気分です。

客観的な基準だけでは語れないモノ

最近、ふと思うことがあったので書いてみました。たいした話ではありません。
(たいした話でもないと言っておきながら、みんなに読んでほしくて記事にするんだから矛盾してますね)

最近の将棋観戦について

将棋のルールとか詳しいことは分からないけど、観戦するのは楽しいから観戦だけしている、いわゆる「観る将」という方々がいます。私ももれなくその一人に入ります(過去最高は将棋道場でいただいた初段程度ですが)。

最近ではそんな観る将の方々にも楽しんでもらえるよう、将棋だけでなく、両対局者の昼食やおやつ、解説者の趣味なども取り上げられています。加えて、いまやプロをも圧倒する実力をもつ将棋ソフトを使用し、現局面をリアルタイムで解析し、どちらがどれくらい優勢かを値で示す評価値や、次の指し手の最善手も出せるようになりました。

評価値の何がいいかというと、客観的に判断できるところです。

将棋の場合、どちらがどのくらい優勢なのかというのはその人の主観で判断するしかありませんでした。つまり、ある人は先手優勢と思っても、ある人からはまだまだ大変なんてこともあるのです。そのため、ある程度棋力がある人でないと正確な形勢判断は難しく、さらにプロでさえも間違うことがあります。
過去には、相手が詰んでいるにも関わらず投了してしまったプロもいるくらいです。

さて、そんな評価値ですが、見える形になったからこそ問題も生まれました。

客観的な基準の悲劇?

2020年11月7日、8日の2日かけて行われた竜王戦七番勝負第3局にて、将棋ソフトは先手優勢で、先手が最善手を指せば勝ち切れるという評価値を出していました。

しかし、その局面で実際に指された手は異なる手。

将棋ソフトが示した最善手ではありませんでした。

そのため、先手は逆転負け。

コメント欄はまぁ大変なことになったのですが(具体的なコメントは控えますが、対局者に敬意を払えないコメントが多かったです)。

評価値という、客観的な基準が出来たおかげでどちらが有利か不利か、指した手が最善手か悪手か、初心者でもプロでも、誰でも分かるようになりました。

一方、客観的な基準ができたゆえに、将棋ソフトが示す最善手と異なる手は悪手だなんだと言われ、対局者に敬意を払えないコメントが出てくるようになりました。

こんなことになるくらいなら、評価値という客観的な基準なんて無くなってしまえばいいのになと思いました。
初心者からすれば、どちらがどれだけ優勢なのかの理解に苦しむことになりますが、両対局者の一緒のおやつを食べてみるなど、それでも楽しめる部分はあるでしょう。

美術、芸術分野に客観的な基準を設けるべきか

客観的な基準が無い分野と言われ、パッと思いつくのは美術、芸術分野でしょうか。

私は絵を描くことが苦手で美術センスなんてものはありません(小学5年生の時に、担任の先生に描いた絵をぼっこぼこに言われて以来、嫌いになったというのもあります)。

数学の問題を解いてくださいと言われれば、解くことが出来ます。

自画像を描いてくださいと言われると、どうすればいいの?と悩み、結果平面の自画像が出来上がります。

数学の問題が解けることを周りの友人からうらやましがられました。

風景画を描くことのできる友人をうらやましく思いました。

数学の問題を見れば、大体どの公式を使えばいいのか予測がつきました。

画家が描いた絵を見て、表面的な考えしか出ず、どこに注目すればよいか分からず深い考察が出来ませんでした。

(稀に勉強もできて、絵も描けるみたいな人がいますよね。小学3年~5年の間、彼女と一緒だったのですが、いいな~、自分もあんな風になれたらなと思いながら見ていました。
自分の主張を通すような子で、小学生にしては妙に大人びた雰囲気があったように思います。お転婆でしたが。)



そして、毎回思うことがあります。

絵を描くときに、絵を見るときに、何か基準みたいなものがあればいいのになと。

そうすれば、きれいな絵が描けるはずです。

絵画を見たときにどこに注目すればよいか分かるはずです。

今までプロしか感じ取れなかった部分も、素人でも理解できます。



しかしながら。

基準があるということは、それを満たさなければ下手と言われます。

どこに注目すべきかが万人共通ゆえに、みんな感じ方は同じになり、独創的な意見は生まれません。

今までに無い、独創的で革新的な絵を描いたとしても、基準に沿っていなければ、プロのくせに下手だと言う人も出てきます。

単に基準を設ければ万事解決とはいかず、幻想に過ぎないかもしれません。

基準が設けられた分野に素人が気を付けるべきことは?

素人でも趣味程度に理解したい、理解してもらいたいと思うのであれば、基準はあってもいいように思います。

しかし、それはあくまで素人でもちょっとだけその分野を理解できるかもしれない基準だということは認識すべきかと思います。加えて、その基準一つだけで我々素人が威張るようなことがあってはいけません。

完全に理解しようとするのならその分野にどっぷりつかり、しっかり勉強すべきです。

一方で、趣味程度でいいなら、参考程度に先のような基準だけで判断してもいいと思います。どちらかというと、客観的な基準が作られたことに問題があるのではなく、客観的な基準だけで判断し、プロに悪態をつく我々に問題があります。その道で活躍されているプロにはしっかりと敬意を払うべきです。

また、ある程度の経験者、プロの域になると玄人ゆえの視点というものが生まれるはずです。
その視点は1日、2日で身につくものではありません。1~2年でも短いでしょう。もしかしたら5年でも短いかもしれません。
その分野に長年いたからこそ培われた視点は、AIと呼ばれる「モノ」が作り出した一つの客観的な基準だけですべて語れるものではありません。

プロにはプロの視点があります。それはたった一つの基準で出来上がっているのではなく、複数の基準が複雑に絡み合ってできたものでしょう。

その視点を知りもしない我々が、どうのこうのと言える立場ではないことは頭に入れておくべきことと思います。(分かりやすい例は、サッカーの試合でプロ選手がゴールを外したときに、「何外してんねん!わしだったら決めてたわ!!」とか言ってそうな方々でしょうか)。

最後に

誰でも理解できそうな客観的な基準は、あくまで素人が少し理解できる基準でしかないこと。
客観的な基準を参考にしつつ、それでもプロへの敬意は忘れないこと。

これら2つは、プロを目指さなくとも、我々がしっかり守るべきことと思います。

一方、本当にその分野を知りたいのであれば、既存の客観的な基準などに頼らず、その分野を実際に死ぬ気で体験してみればよいと思います。
テレビや本などのフィルターを通して知るのは実際の体験ではありません。

見て、聞いて、触れて、感じて。そこで初めてその分野を理解する一歩に踏み込んだと言えるのではないでしょうか?